gallery to plus 企画展 「Critical Selfies」
2017
"Critical Selfies” - A series of 3 Solo Exhibitions
2017
2017年11月17日 - 26日 時里充 個展「見た目カウントトレーニング #2」
2017年12月1日 - 10日 山内祥太 個展「ポチョムキン」
2017年12月15日- 24日 三木麻郁 個展「誕生の讃歌 / Hymn of birth」
会場:gallery to plus(東京・自由が丘)
3人の若手アーティストの連続個展「Critical Selfies」では、テーマを共有しながら各自が異なるアプローチを追求し、個展そして3展全体の両面から見ていたけるものとなった。会期後終了後、3人のアーティストとともにトークイベントを別会場(桑原商店仮店舗)にて開催した。
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「Critical Selfies」について
刻々と更新されるニュース、人々やマシン、システムによるコミュニケーション。膨大な情報が加速度的に現れ、瞬時に過 ぎ去っていく。世界はますますスペクタクルへと向かい、同時に無関心(アパシー)を肥大させている。ヴァーチャルなもの が人々を動かし、実空間に流れ込み、ヴァーチャルへ戻るループも間断ない。
「Critical Selfies」は、そのような日々の中で気にもとめずやり過ごされている知覚や身体、そしてアイデンティティにささ やかな接続と切断を差し込む3人のアーティスト、時里充、山内祥太、三木麻郁の個展で構成される。彼らはそれぞれの方法 で、とある事象や情報が別のメディアやコードへと変換されていくプロセス自体を見る側に開示する。 時里は、単純な動作が反復される映像とその動作をカウントするマシン、というシステムを映像として提示する。山内は、 所与のものであるはずの映像と見る者の間に、映像を見るには困難なシステムを介在させる。時里、山内の作品では、ナンセ ンスで不条理にさえ見えるシステムの存在が映像の意味やコンテンツを緩やかに引き剥がしてしまう。三木の展示では、何人 もの誕生した日時の星座が楽譜としてコード化されオルゴールとして並んでいる。訪れた者は実際に音へと変換することで見 知らぬ誰かと接触し、それが空間で共有されていくだろう。 システム内のシステム、システムの外部、そして異なるシステムの接続。いずれの作品においても、事象や情報が映像や マシン、コードへと変換されていく一種自己言及的な連鎖が発動している。それは没入へと収束するループではなく、常に批 評的な自己反映を繰り返す、非連続的な連鎖である。何が起きているのか?私たちは何をしているのか...そして私たちは何な のか?見る者は、その連鎖に対峙しながら、自身の存在を問い始めることになる。 3人は、Selfie(自撮り)隆盛の時代において、ドイツ・ロマン主義の反省的自己に連なるかのような批評に満ちた「Selfie」 的システムを作品として提示する。刹那的な生を刻むかのようにつながりを求め増殖し続ける自己投影としての Selfie でも、 近代の自画像のような省察的な自己反映でもない。映像やマシン、身体がコードを介して連鎖的につながることで自身と他者、 ヴァーチャルと実空間を、それぞれの想像力で連結しながら切断し続ける、きわめて同時代的なポエジーとしてのシステムで ある。 (四方幸子/本展キュレーター)
キュレーション:四方幸子
マネジメント:桑原康介(gallery to plus 代表)
- 各展示初日18:30 より、アーティストとキュレーターによる作品解説とオープニングパーティーを開催
- 2018年1月26日に3人のアーティストとキュレーターによるトークを開催(下に記載)
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時里充 個展「見た目カウントトレーニング #2」
11月17日 - 26日
画面やカメラに関する実験と観察を行い、認知や計量化といったデジタル性に関する作品 を制作する時里。本展では、近年取り組んでいる、ディスプレイの画面に映る行為や情報 を電磁カウンターを使用し計量化するシリーズ「見た目カウント」の新作を発表する。
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2連のディスプレイには、卓球のリフティングをする人物を異なる角度から撮影した映像がそれぞれ流れている。各ディスプレイの手前には電磁カウンターが設置され、ボールとラケットが衝突する画面を感知し、その回数を数値化し続ける。もう1台のディスプレイには「2連のディスプレイとそこに流れるリフティング映像」が入れ子的に映像として表示され、ボールとラケットが衝突する画面を認知してタップする手の映像が流れている。タップの回数は、ディスプレイの手前にある電磁カウンターが数値に変換し続ける。反復的な映像とリズム。作品はミニマルで、システムは明解である。しかし意味は明示されない、表象を追求する場合においては。リフティングは、生身の人間が行うためにリズムや動きに毎回差異を生み出している。2連ディスプレイの作品では、カウンターがそのような差異と関係なく回数のみを表示する。1台のディスプレイでは、ラケットがボールに当たる映像に合わせてタップする人の行為をカウンターとの間に挟むことで、もう一段階の差異が導入されている。人の反射的行為とカウンターの計測はともに機械的なものだが、前者では身体性(ぶれ、ディレイ…)が滲み出るのに対し、後者は一貫して厳密かつ正確である。その上で、いずれの作品においても、身体によるカウントとマシンによるカウントが、情報の変換を伴いながら繋がるものとして設計されている。訪れた者も例外ではない。情報の変換プロセスに対峙する中で、次第に作品のリズムに同期することになるだろう。時里は、計測というシステムを介在させることで、起きている出来事の別の(メタ的)側面を可視化する作品を手がけてきた。私たちが日常的に知覚する世界とは異なる、数値として抽象化された世界。それは出来事の、差異をともなう延長的な「反映」である。映像/実空間、人間/マシンは、彼の作品において親和的な顔を見せている。(四方幸子)
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山内祥太 個展「ポチョムキン」
12月1日 - 10日
自身の 3D スキャンを含め、実空間とヴァーチャル空間に関わる作品を制作してきた山内。 新作は、日々録音している通話音声を元に、心理的・空間的距離の差異とともにコミュニ ケーションにおける内実の見えづらさを扱うビデオ・インスタレーション。
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電話の音声。受話器を取ろうとしたり、訪れた者を見るかのようなロボット。饒舌な空間には、そこはかとない欠落感が漂っている。自身の3Dスキャン映像で実空間とヴァーチャル空間を行き来しながら両者の齟齬をシュールに表現してきた山内が、どこにもいないのだ。ロボットは、山内の分身のようにも見える。音声は、山内が大家の市澤さんと廃品回収業者にかけた電話で、それぞれ映像作品となっている。《市澤さんにバツの話を聞く》(2014)はアパートの階段下にある「×」マークを巡るやりとりに、現場の実写をつけたもの。《廃品回収のおじさんにテレビの話をする》(新作)はクレーアニメで、実写された模型が手前に置かれている。通話音声、静止画と見まがう映像とミニマルなカット数。両作はこれらで共通しながら、決定的な違いにある。新作は現場が粘土で再現されている。山内の手による、3D化された記憶である。彫刻を学び、モノからヴァーチャル空間に挑んできた彼が、今回塑像を選んだことは《市澤さん…》からの跳躍的回帰といえるだろう。山内の姿はない。しかし彼が様々なかたちで偏在・介入し合う場がそこにある。それだけではない。タイトルの「ポチョムキン」(ロボットは「ポチョムキンくん」)は、様々な解釈を喚起するが、山内はそれを「誰でもない誰か」としている。「自己」は他者へと延長され、多重反射に終わりはない。 タイトルにはまた、世界が複数のフィクションの層でできていることが込められている。作品や展覧会も例外ではない。むしろ作品や展覧会は、フィクションによって世界で稼働するフィクションにささやかな亀裂を差し込む戦略としてある。山内はそのことを誰よりも知っている。(四方幸子)
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「誕生の讃歌 / Hymn of birth」
12月15日- 24日 三木麻郁 個展
誕生の日時・場所から観測された星空のカードを、オルゴールとして演奏する装置が並ん でいる。誰かが生を受けたことに由来する音楽を、訪れた誰もが奏でることができる場。 そこでは、この世に共に存在しえたいくつもの生が共鳴し合うことだろう。
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壁面をはじめ、異なる素材や形状の家具の上には、円環状の紙が付いた装置がある。これらは三木による「オルゴール」*であり、紙に開いた穴を「楽譜」として、手回しで音を奏でることができる。オルゴールに付けられた紙はとある個人を表し、穴はその人が誕生した日時の天体観測図をアーティストが楽譜へと転換したものである。ポピュラーなメロディを奏でる叙情的なイメージが一般的なオルゴールだが、円筒状の金属のピンや紙の穴として物理的にコード化された楽譜が音に変換される機構をもつ。本作の、穴開きカードによるオルゴールは、バベッジの解析機関(プログラム可能な計算機)、ひいてはジャガード織機のパンチカードまで遡ることができる。近代以降、大量生産や膨大な情報処理へと邁進してきた機械やコンピュータに代表される科学技術は、同時に世界や人間を数値へと抽象化した。三木は、日々の挙動や思いをもデータとして処理される現代において、情報処理の起源としてのパンチカードをアートを介して個人の生へと引き戻す。いつどのオルゴールをいかに演奏するか。それによって空間では、「誕生の讃歌」がその都度立ち上がることだろう。見知らぬ「誰か」の誕生を、「誰か」が演奏すること。それは見知らぬ誰かの生を思うとともに、自身の生に向き合うことでもある。と同時にさまざまな他者ー過去に生まれて亡くなった人々や未来に生まれ来る人々の生、そして人間以外の生ーとの想像的な出会いをも喚起するだろう。三木は文学、数学、天文学、音楽などの領域を行き来し、多様なメディアを駆使しながら一貫してコードの変換の問題を扱ってきた。作品は、一人の手によるものとは思えないほど多岐にわたる。しかしいずれの作品でも、コードの抽象性が具体的な人やモノとつなげられることで、コミュニケーションへの希望が志向されている。本作はまさにその実践の場であり、あなたの参加を待っている。(四方幸子)
*厳密にはパンチカード式手回しミュージックボックス「オルガニート」
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[イベント]
「Critical Selfies of “Critical Selfies” 3人のアーティストとキュレーターとの対話
2018年1月26日 19:00-
会場:桑原商店仮店舗(東京・五反田)
昨年11月から12月に開催した、連続企画展「Critical Selfies」(キュレーション:四方幸子)。各回アーティストたちが、このテーマに関わるかたちでそれぞれユニークな展示を作り上げ、多くの来場者を迎えることができました。2017年春にアーティストが決定、9月からアーティスト、キュレーター、ギャラリー側で制作プロセスの情報を共有することで相互触発が生まれたことも、この企画の特徴といえるでしょう。「Critical Selfies」とは? 参加アーティストたちはこのテーマをどのように受けとめたのか? 制作開始から展覧会までのエピソード、それぞれの展示の紹介、お互いの作品について& more!3人のアーティストがついに揃いぶみします。会場は、弊ギャラリー本社「桑原商店仮店舗」。半年後にお酒とアートが楽しめる場として正式スタートする前に仮オープンしているユニークな酒屋(監修:長坂常/スキーマ建築)で、こちらも必見!
(gallery to plusウェブサイトより)
November 17 - 26, 2017 Mitsuru Tomisato “Counting Appearance Training #2"
December 1 - 10, 2017 Shota Yamauchi “Potemkin”
December 15 - 24, 2017 Maaya Miki “Hymn of birth”
Venue: gallery to plus (Jiyugaoka, Tokyo)
Curator: Yukiko Shikata
Management: Kousuke Kuwabara (Director, gallery to plus)
- Artist’s talk with curators from 18:30 of the first day of each exhibition, followed by the opening party.
Talk event "Critical Selfies of “Critical Selfies” January 26, 2018, 19:00-
Venue: Kuwabara Shoten (pre-opening period) (Gotanda, Tokyo)